黄泉の国と聞いて何をイメージするでしょうか?
多くの人は「死後の世界」や「亡くなった人が行く場所」をイメージするかもしれません。
そのイメージの通り、黄泉の国は日本神話に登場する死者の世界です。
『日本書紀』『古事記』では、妻であるイザナミを追って黄泉の国へ向かったイザナギの物語が描かれており、この神話は日本人の死生観にも大きな影響を与えたと考えられています。
しかし、黄泉の国がどのような場所なのか、なぜ日本神話に登場するのかについては意外と知られていません。
この記事では
・黄泉の国とは何か?
・地上世界との関係
・なぜ日本神話に黄泉の国が書かれたのか?
を分かりやすく解説します。
黄泉の国ってなに?
日本神話について
まずは黄泉の国が登場する日本神話について軽く説明しておきましょう。
日本神話とは、日本の正史である『日本書紀』及び『古事記』の【神代】の事を指します。
日本書紀と古事記はまとめて『記紀』と呼び、私たちが学校で習う歴史の書かれた書物ですが、冒頭部分は神々の登場する物語である神代が記されています。
この神代を指して現代では一般に日本神話と呼ばれる様になりました。
黄泉の国とは
黄泉の国とは、この記紀の神代に登場する死者の世界です。
日本神話では、『神々の世界』『地上の世界』『死者の世界』の三つの世界が存在しており、死者の世界を指して黄泉の国と呼ばれていたりします。
| 世界 | 読み方 | 概要 |
|---|---|---|
| 高天原 | たかあまはら | 神々の天上世界 |
| 葦原中国 | あしはらのなかつくに | 地上世界(日本) |
| 黄泉の国 | よみのくに | 死者の世界 |
黄泉の国は神や人間が死ぬと向かうとされている場所で、なんと黄泉比良坂という場所で地上世界と繋がっています。
高天原について詳しくは↓
黄泉の国でのエピソード
イザナギとイザナミ

黄泉の国が登場するのは日本神話の前半、イザナギとイザナミが日本を創造した『国生み』の直後です。
イザナギとイザナミは日本神話に登場する夫婦の神で、日本列島を創造した『国生み』等で知られています
国生みを終えたイザナギとイザナミは、続いて多くの神々を生み出しました。
しかし最後に火の神であるカグツチを出産した際、イザナミは大やけどを負い、その傷がもとで命を落としてしまいます。
愛する妻を失ったイザナギは深く悲しみ、イザナミを取り戻そうと決意しました。そして死者の世界である黄泉の国へ向かったのです。
生者が死者の国へ足を踏み入れるという、日本神話でも特に印象的な場面がここから始まります。
イザナギとイザナミについては詳しくは↓
逃走

黄泉の国でイザナギはイザナミと再会することができました。
イザナミは夫の訪問を喜びましたが、すでに黄泉の国の食べ物を口にしていたため、簡単には現世へ戻ることができませんでした。
そこでイザナミは、
「黄泉の国の神々に相談してきます。その間、決して私の姿を見ないでください」
と告げます。
しかし待ちきれなくなったイザナギは約束を破り、櫛の歯に火を灯してイザナミの姿をのぞき見ました。
そこにいたのは、かつての美しい妻ではありませんでした。身体は腐敗し、八柱の雷神が宿る恐ろしい姿へと変わっていたのです。
驚いたイザナギは逃げ出しますが、約束を破られたイザナミは激怒し、黄泉の国の兵士を差し向けて追跡させました。
逃走の末、イザナギは黄泉比良坂までたどり着き、大きな岩で道を塞ぎます。
この時イザナミは岩の向こう側から
「一日に人間を1000人殺す」
事を宣言し、
対してイザナギは
「一日に1500人を生み出す」
事を宣言します。
以上が日本神話における黄泉の国のエピソードです。
有名なお話なので聞いた事がる方もいらっしゃったのではないでしょうか。
この辺りのお話について詳しくは↓
黄泉の国とは何だったのか
さて、では黄泉の国とは何だったのか、このエピソードから掘り下げていきましょう。
同じ釜の飯を食う
まず、イザナミが黄泉の国の国の食べ物を食べてしまったため帰れないと言った下りですが、
こちらは『共食儀礼』の発想が既に日本にあった事が伺えます。
現代でも『同じ釜の飯を食う』という言葉があるように、ある共同体で同じ食事を口にするとその共同体の仲間になるというのが『共食儀礼』です。
黄泉の国の食べ物を食べてしまったのでもう現世には帰れない、つまり死者は生き返れないという教訓を伝えているのでしょう。
生死の概念
イザナギとイザナミは黄泉の国との境界である黄泉比良坂で巨石によって分断されます。
ここでイザナミが「命を奪う」イザナギが「命を産む」事を宣言しますが、
これは人間に生死の概念が付与させる事で、何故人間が産まれたり亡くなったりするのかを伝えているのだと考えられます。
また、黄泉比良坂を巨石で塞いだ際にイザナギは『岐神』を生んでいます。
「くなど」とは「ここから先は来てなならない場所」という意味があり、黄泉の国を完全に分断した事を表しています。死者は地上に戻ってこれないと言う事です。
黄泉の国の物語は、人間の生死観について、神話を通して伝えようとしているのではないでしょうか。
穢れの思想


黄泉の国の神話で特に重要なのが「穢れ」の考え方です。
イザナギは黄泉の国から帰還した後、自らが死の穢れに触れたことを嫌い、川で身体を清めました。この行為を『禊』といいます。
そして禊の最中に誕生したのが、
- 天照大神(あまてらすおおみかみ)
- 月読命(つくよみのみこと)
- 須佐之男命(すさのおのみこと)
の三貴子です。
つまり黄泉の国の神話は、単にイザナギとイザナミの別れを描くだけでなく、日本神話の中心となる神々の誕生へとつながる重要な物語でもあるのです。
天照大神について詳しくは↓
また、死を穢れとみなし、清めによってそれを祓うという考え方は、後の神道にも大きな影響を与えました。
まとめ
このように、黄泉の国とは、日本神話における死者の世界です。
イザナミの死をきっかけにイザナギが黄泉の国へ向かい、そこでの出来事が現世と死者の世界を分けることになりました。
そしてこの神話を通して人間の生死の理由を説いていた可能性もあります。
また、この神話は日本人の死生観や穢れの思想を示すとともに、後に天照大神・月読命・須佐之男命が誕生する重要な物語へとつながっています。
重要ポイント
✔黄泉の国とは日本神話における死者の国
✔生死観を説いたエピソード
✔穢れなど後の神道の思想と繋がっている




