日本史 第7.5話 ①旧石器時代:縄文時代

日本史

ここまでは『記紀』によって日本の原始時代を見てきましたが、ここでは考古学的視点から原始時代を眺めてみましょう。

教科書に載っているのはコチラの内容ですね。

旧石器時代

人類の誕生

人類の始まりはおよそ500万年前に遡ります。

500万年前、地質学的には氷河時代の頃、最初の人類である猿人が誕生します。
彼らは二足歩行を覚え、歩行に必要なくなった腕をつかう技術を獲得、これにより簡単な道具を作成し狩猟を行う事が出来ました。

その後時代が進み、約250万年前頃には原人が誕生、この頃になると石器を制作しはじめ狩猟がさらに高度なモノになったと考えられ、火を使い始めたのもこの頃だったようです。

約40万年前には旧人が誕生、旧人は脳の大きさがほぼ現代人と同じ程の容量となっており、宗教が芽生える等かなり文化的になって来ていた様です。

しかしこれらはいずれも環境に適応できず滅亡してしまいます。

そして約30万年程前アフリカで新人が誕生、これが現在の私たちのルーツとなる人類だと考えられています。

旧石器時代

上記の人類たちが活躍していた時代は、マンモスなどの大型動物が健在でしたので男性はこれを追いかけ狩猟を行い、女性は採集を行うなどで分業し食料を確保していました。

さらに火を使い始め、技術の幅が広がるり、宗教等の文化が生まれると、それを継承する為に言語を使用し始めて徐々にその文明の力を伸ばし、厳しい氷河時代を生きていく力をつけ始めます。

またこの時代は主に道具として打製石器が使用されていました。
これは石を砕いたり削ったりして作られたモノで狩猟の為の武器として使用され、主な石器では
モノを斬ったり地面を掘りだす為の『ハンドアックス』
切ったり削ったりする為の『ブレイド』
棒の先端に装着し槍として突き刺す為の『ポイント』
等があり、いずれも狩猟で生きていくこの時代の人々の知恵の産物で他の動物とは違う頭脳を持っていた事がよく分かります。

打製石器

ちなみに6万5千年程前に旧人のネアンデルタール人によって書かれたと見られる壁画が発見されており、この時には既に宗教や文化が芽生えていた事が分かります。

(引用:ナショナリジオグラフィック日本版https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/022600087/

日本の旧石器時代

さて、日本では長らく旧石器時代は存在しないものだと考えられてきました。

しかし1946年、アマチュア考古学者の相沢忠洋が群馬県みどり市にある岩宿遺跡にて打製石器を発見。これにより日本にも旧石器時代に文明が存在した可能性が浮上し、その後全国各地から打製石器が発掘された事から、日本でも旧石器時代があった事はほぼ確定となりました。

相沢忠洋さん

縄文時代

旧石器時代の終わり頃、人類は土器の使用を始め、打製石器を磨いて強度を増した磨製石器を開発します。
これらの道具の使用を持って新石器時代と定義し、日本ではこれを縄文時代と呼んでいます。

縄文時代の文化

縄文時代では旧石器時代と同じく狩猟や採集が行われており、さらに四方を海に囲まれた日本列島では魚を取りやすい入江が多く存在した事で漁業も発達しました。

また温暖な気候であった日本列島は森林等の自然が発展し動植物も多く豊富な山の幸や海の幸を獲得する事が容易であり、縄文人達は海や川、山の近くなど食糧確保のしやすい場所に定住する事を選びます。

彼らは、地面に30㎝~1Mの円形の穴を掘りその上に木の枝や土を固めて作った茅を建てて屋根とした竪穴住居と呼ばれる家で生活しており、この竪穴住居は地面を掘って作られているので夏は涼しく冬は温暖で、肉等の食料を数日保存することも可能でした。

食料の保存や料理の為に土器の使用し、彼らはその土器に模様をつける等のおしゃれも楽しんでいた様です。今と変わりませんね。
ちなみにこの模様は縄目のモノが多い事からこれらを縄文土器と呼び、それが転じて縄文時代と呼んでいる訳です。

また彼らは山や海から小さなものにかけて全ての万物に魂が宿るという宗教観を持っていて、万物に祈りを捧げて魔除けの儀式も行っていたと考えられています。

また土偶と呼ばれる人形が大量に発見されており、これらは女性を象ったものがおおく見られ恐らく子孫繁栄の為の儀式的な意味を込められたものなのでしょう。

貝塚

貝塚とは、主に縄文時代の人々が貝や食べ物の残りかす、生活のごみを捨てた場所です。現代で言う「ゴミ捨て場」や「埋立地」のような存在でした。

そこには魚や動物の骨、貝殻などが捨てられており当時はそういったモノを獲得して食料としていた事がよく分かりますし、壊れた石器や土器の破片も見つかっている事から本格的なゴミ捨て場として機能していたと言えるでしょう。

また面白い事に人骨や犬などの骨、儀式の為の土偶なども見つかっている事から近年ではただのゴミ捨て場ではなく何かしらの祭礼場としての側面もあったのではないかと言われています。

そんな貝塚は1877年、来日していたアメリカ人動物学者エドワード・S・モースによって発見されました。
彼は列車から窓を眺めていた際偶然にも貝塚を発見、直ぐに明治政府の許可を得て調査を開始し、これが日本初の貝塚の発見となりました。その場所は大森貝塚として日本の考古学発祥の地として現在に残されています。

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