大山阿夫利神社について

「大山阿夫利神社」は、神奈川県伊勢原市大山に鎮座する神社で、山頂の本社・中腹の下社と二箇所に参拝できる、とても神聖で景色も素晴らしい神社です。
この神社の「阿夫利(あふり)」という言葉には、古く「雨降(あめふり)山」という別名もあったことから、“雨の恵みの水をもたらす山”という信仰が込められているとも言われています。
また、参拝だけでなく、参道の風情・ケーブルカーでのアクセス・山の景色まで含めて体験できる場所なので、「神社へ行くだけ」で終わらず、山の雰囲気も存分に味わえるのが魅力です。
例えば、下社からの眺望は「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」で2つ星を獲得しました。
歴史
創建
社伝では、創建は今から 約2,200年以上前、第10代の 崇神天皇 の御代と伝えられています。

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この地域の山「大山」は、別名「雨降山(あめふりやま)」または「阿夫利山(あふりやま)」とも呼ばれ、雲や霧が立ちこめやすく、 “雨/水”に関わる信仰 が早くから生まれていたことが伺えます。
また、山頂周辺からは 縄文土器の破片 や古い信仰にかかわる遺物が出土しており、山岳・水・雨をめぐる信仰が「古代からあった」ことを物語っています。
奈良時代以降には、山そのものを尊ぶ 山岳信仰・修験道 の霊場としての性格が強まり、参詣や修行の場として人々に認識されてきました
中世
中世に入ると、奈良時代の代表的な文献である 『延喜式神名帳』(927年成立)に「阿夫利神社」として記載があり、式内社(古くからの神社)に列せられています。

武士・将軍たちの信仰対象ともなりました。例えば、伝承によれば 源頼朝 が平家打倒の折に当社に太刀を奉納したという話が残っており、これが後に “納太刀(おさめたち)” という風習につながっています。
このように、武運長久・戦勝祈願という性格が付与され、単なる農耕・雨乞いの神から、武の信仰・庶民から武士まで幅広く信仰される場へと変化していきました。
江戸時代
江戸時代になると、庶民の間で「大山詣り(おおやままいり)」が大変盛んになりました。年間数十万人が参詣したという記録もあります。

この参詣は「講(こう)」という団体を作って行くことも多く、地域・氏子・講中といった人々の結びつきを強める社会的な役割も果たしていたようです。
また、この時期に「御師(おし)」という宿坊を営む案内人・宿泊施設の仕組みが整えられ、参詣道(例:大山街道)やその沿道の町並み・茶屋・宿坊街などが発展しました。
文化面でも、当社では「大山能」や「倭舞」「巫女舞」といった伝統芸能が育まれ、現在でもその伝承が続いています。
近代
明治時代には全国的な「神仏分離令」により、神社と寺院との関係の整理が行われ、当社も「石尊大権現(せきそんだいごんげん)」とされていた仏教色の強い呼称から、旧来の「阿夫利神社」という社号に戻され、さらに「大山阿夫利神社」という名称が用いられるようになりました。
20世紀になると、交通・参詣インフラが整備されました。たとえば、1923年(大正12年)の関東大震災の被害を経て、昭和2年(1927年)に 大山ケーブルカー の建設準備が始まり、昭和12年(1937年)に開通したことで、参詣のアクセスが格段に良くなりました。

現代においても、上記のような古い信仰・参詣文化・伝承芸能が引き継がれており、「山・水・雨」信仰を根底に、武家・庶民・現代観光まで幅広く「願いの山」として存在し続けています。
境内のみどころ
下社(中腹)

ケーブルカーでアクセスできる下社は標高約696 m。ここからの眺望が素晴らしく、相模湾や伊豆諸島を望むことができ、景観としても優れています。
参道には歴史を感じさせる宿坊街や茶屋なども並び、散策だけでも楽しめる雰囲気があります。
本社(山頂)



山頂に鎮座する本社は標高約1,251 m。ここまで登ると、さらに山頂からの景色は視界が開けて、圧巻。
登った甲斐があると実感できます。
参道の風情・四季の景色



紅葉シーズンや新緑・雪景色など、季節ごとに異なる表情を見せる山と神社の組み合わせは、単なる神社参拝を越えた“体感”を味わえるスポットです。
アクセス
| 所在地 | 神奈川県伊勢原市大山355 |
|---|---|
| 電話番号 | 0463-95-2006 |
| 御朱印 | あり |
| 営業時間 | 9:00〜17:00 |
| アクセス | JR・小田急線「伊勢原駅」北口からバス「大山ケーブル」行きに乗車、「大山ケーブル」下車。 その後「大山ケーブル」乗車「大山阿夫利神社」下車/td> |
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