安寧天皇陵について
安寧天皇陵、正しくは畝傍山西南御陰井上陵 と言い、第3代天皇・安寧天皇の陵とされています。
畝傍山西麓に位置し、前方後円墳の形状とされることもありますが、丘陵全体を陵墓として治定した説も有力です。
また、古事記・日本書紀をはじめ歴史書に記録が少ない「欠史八代」に数えられ、実在の是非も議論される天皇ですが、伝承に基づき現地に陵が治定されました。
項目 | 内容 |
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代数 | 第3代 |
天皇名 | 安寧天皇 |
御陵名 | 畝傍山西南御陰井上陵 (うねびやまのひつじさるのみほどのいのえのみささぎ) |
陵形 | 山形 |
安寧天皇とは
安寧天皇は、『日本書紀』では 磯城津彦玉手看天皇(『古事記』では 師木津日子玉手見命)とされ、『綏靖天皇』の息子にあたります。
即位の経緯や在位期間は記紀に記されていますが、実証史料が乏しく、歴史的実在性については現在も議論の対象となっています。
歴史
安寧天皇は、綏靖天皇の皇子として生まれ、父の後を継いで即位したと伝えられています。『日本書紀』によれば、綏靖天皇33年7月に太子から天皇へと即位し、その翌年には都を片塩浮孔宮へ移しました。即位11年目には皇子・大日本彦耜友尊を太子に立て、のちの第4代懿徳天皇へと続いていきます。
在位は38年に及び、57歳で崩御したとされています。陵墓は「畝傍山西南御陰井上陵(うねびやまのひつじさるのみほどのいのえのみささぎ)」に比定され、地域では「アネ山」と呼ばれてきました。また、陵の南には「御陰井(みほどのい)」と呼ばれる井戸があり、その名が陵号の由来ともなっています。
安寧天皇の事績は具体的な記録が少なく、欠史八代の一人として実在性に疑問も呈されますが、こうした伝承や陵墓の存在は、古代大和王権の系譜を示すものとして重視されています。
安寧天皇陵の様子

現地は静かな丘陵地帯で、畝傍山麓の登山口にも近く、散策や参拝に適しています。前方後円墳の形状をなしているとも言われますが、はっきりした墳形は確認されていません。
地元や観光客の声では、気軽に訪れられるが、歩道のない道路沿いなどで安全に留意が必要との意見もあります。
周辺スポット
橿原神宮
陵墓のすぐ隣には神武天皇をお祀りする橿原神宮があります。
初代天皇をお祀りする神宮とあって、伊勢神宮にも引けを取らない荘厳な雰囲気で、陵墓とセットで巡るのがオススメです。
陵墓
周辺には初代天皇:神武天皇を始めとする古代の天皇陵が集中しています。
歴史探索ならこの辺りの陵墓をまとめて巡るのも良いかもしれません。
アクセス
項目 | 内容 |
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所在地 | 奈良県橿原市大久保町(畝傍山西麓) |
最寄り駅 | 近鉄南大阪線 橿原神宮西口駅 徒歩約5〜7分 近鉄橿原神宮前駅 徒歩約10〜20分 |
車でのアクセス | 国道169号線「橿原神宮前」交差点から約5分。 周辺道路は狭いため公共交通機関の利用が推奨されます。 |
駐車場 | 周辺に駐車場は少なく、公共交通機関の利用がおすすめ |