鹿島神宮について
茨城県鹿嶋市に鎮座する鹿島神宮は、主祭神に武甕槌大神を祀る、東国を代表する古社です。
タケミカズチは天照大神の命を受けて葦原中国を平定し、出雲の国譲りを成し遂げた武勇の神として知られています。
全国に約600社ある「鹿島神社」の総本社でもあり、古くから武道・武家の守護神として篤い崇敬を受けてきました。
広大な社域は東京ドーム約15個分に相当し、楼門や奥宮、神秘的な御手洗池など見どころも豊富。四季折々の自然も魅力で、年間を通して多くの参拝者や観光客が訪れます。
社伝によると創建は神武天皇の時代とされており、非常に古い歴史を持つ神宮です。
歴史
神話時代 — 国譲りの武神
鹿島神宮の中心にある物語は、日本神話の「国譲り」。
武甕槌大神は、天照大神の命により出雲へ下り、大国主命との交渉を経て国譲りを成し遂げたとされます。
これによりヤマト王権の統治の正当性が神話として位置づけられ、鹿島はその武神を祀る重要な拠点になりました。
詳しくは↓
『常陸国風土記』には「香島の天の大神」が降臨したとの記述があり、すでに古代から東国の信仰拠点であったことがうかがえます。
また崇神天皇の時代には武具を、景行天皇の時代には船を献じたという逸話が残り、これが現在の御船祭の起源とされています。
古代 — 東国の守護と朝廷との結びつき
鹿島神宮は、東国が朝廷領の北方端であったことから、蝦夷の平定や国家の守護神として特別な崇敬を受けました
大化の改新後の朝廷の東国経営に重要な役割を担うようになります。
また、平安初期には『延喜式』に名神大社として列せられており、幣帛が朝廷から奉献された格式の高い神社とみなされていた様です。
中世~近世:武家の信仰と社殿整備
武神としての信仰は、中世以降の武士社会にも強く影響を与えました。
源頼朝や藤原氏などが信仰し、源頼朝らによる社領寄進や社殿修復が行われたことも伝えられています。
また、徳川家康が1500石の社領を寄進した事も知られており
江戸時代には、徳川家康による本宮の造営、徳川秀忠による本殿建立、さらに水戸徳川家による楼門の寄進などがあり、現行の社殿体系が形成されました
近代~現代:近代社格制度と現在
明治時代には官幣大社に列し、国家神道下で重要な神社として位置づけられました。
現代でも、剣道や相撲、その他多くの武道関係者からの信仰が篤く、全国からの参拝者で賑わう神社です。
鹿島神宮の観光

参道は整備されており露店が並ぶ観光地らしい賑わいです。

参道を進むと大きな鳥居がお迎えしてくれます。

鳥居を潜り神宮内へ足を踏み入れるとその荘厳さを味わえます。
進んでいくと巨大な楼門。

桜門を抜けると目の前に拝殿が。

拝殿からは奥参道と呼ばれる森林部を通り抜け奥宮へ向かいます。

深部では奥宮があります。
徳川家康が関ヶ原の戦いに勝利した御礼として作った社殿です。

更に奥に進むと反対側の出入り口へ。
ここには御手洗池という池があり中に鳥居が構えられています。
昔はこの池で禊をして参拝していた様です。
アクセス
項目 | 内容 |
---|---|
所在地 | 茨城県鹿嶋市宮中 2306-1 |
最寄り駅 | JR鹿島線「鹿島神宮駅」から徒歩約10分 |
車でのアクセス | 東関東自動車道 潮来ICから約15分 |
駐車場 | あり(境内周辺に複数/有料・無料あり) |