石上神宮について

今回は奈良県天理市にある石上神宮について紹介します。
石上神宮は伊勢神宮に並ぶ日本最古の神宮の一つとされる歴史深い神社です。
主祭神は布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)で、古代から大和王権の軍事と関りが強く、古代の軍事や武器に関わる神として崇拝されています。
特に、国宝である「七支刀」や「布都御魂剣」など、貴重な御神宝を所蔵していることで知られています。
また、境内は自然豊かで静寂に包まれ放し飼いにされている鶏は神聖な存在とされ、参拝者を和ませています。
石上神宮は、武運長久、厄除け、開運招福などのご利益があるとされ、多くの人々に信仰されています。
歴史
石上神宮の歴史は、日本の神道と古代国家の成立に深く結びついています。
日本書紀や古事記に記されていることから、非常に古い時代に遡る起源を持つとされ、創建時期は崇神天皇7年の年とされており正確な年代は不明ですが、いずれにしても弥生時代や大和時代級の歴史を持つのは間違いないでしょう。
古代-大和王権との関り
石上神宮は古代、大和王権の武器庫としての役割を果たしていました。
しかも単なる武器庫ではなく、様々な豪族達が一族の宝を奉納するなどかなり神格化の図られており、特に主祭神である布都御魂大神は、剣に宿る霊力を神格化した存在であり、神社に伝わる「布都御魂剣」は王権の軍事的シンボルでした。

北澤八幡神社:韴霊大刀(フツノミタマダイトウ)
この剣は神武東征の際に初代神武天皇が使用した剣で、なんやかんやの経緯で高天原から神武天皇へ渡り、その剣の力により神武天皇のピンチを救い戦に勝利したとして知られており、こうした神話と結びつくことで、石上神宮は大和王権の正当性を示すモノとなり、大和王権の統一事業を支えて来たと考えられています。
中世
平安時代以降、石上神宮はその軍事的な役割を次第に失い、信仰の対象としての性格が強まりました。中世には神仏習合の影響を受け、仏教と神道が融合した信仰形態がみられます。しかし、明治維新に伴う神仏分離令により、神社としての性格を再確立しました
近代
明治以降、石上神宮は国家神道の中で重要な地位を占めるようになります。
1868年(明治元年)、明治政府は神仏分離令を発布し、それまでの神仏習合の形態が一掃されます。
石上神宮も例外ではなく、仏教的な要素が排除され、純粋な神道神社として再編されました。
この過程で石上神宮の神聖性が改めて見直され、国家神道の枠組みの中でその役割が明確化されたのでした。

さらに1871年(明治4年)に制定された近代社格制度の中で「官幣大社」に列せられました。
これは国家の保護を受ける格式の高い神社として認定されたことを意味し、石上神宮は朝廷や政府の威信を象徴する存在となります。
その結果、神道が国家統治の思想的な柱とされた戦前の日本では、石上神宮も教育的な役割を担いました。地域の学校や軍関係者が参拝するなど、皇国思想を育む場として利用される事となるのです。
現代
1945年の敗戦後、GHQ(連合国軍総司令部)は国家神道の廃止を指示しました。
これにより、石上神宮は国家の支援を失い、宗教法人として独立運営を行うこととなりました。
それでも、地域住民や信仰者による支援を受けながら、運営され、現代では「七支刀」や「布都御魂剣」をはじめとする数多くの神宝が日本の文化遺産としての重要性を認められ歴史ファンや観光客から根強い人気を誇る神宮として今に残っています。
石上神宮の観光

石上神宮入口です

大鳥居前、すでに雰囲気がありますね。。。


放し飼いされてるニワトリたち、ここでは神聖な生き物として可愛がられています。

系内には池もあってよい雰囲気です

参道から本殿へ・・・

天理くるくる


本殿、もともと神宮は本殿を持たないのですが明治時代に布都御魂剣(と思われる剣)が発掘されそれを奉納する為に本殿が建造されました。
国宝
ここでは石上神宮に奉納されている国宝の2つの剣について解説します。
布都御魂剣ふつのみたまのつるぎ

北澤八幡神社:韴霊大刀(フツノミタマダイトウ)
布都御魂剣は日本書紀や古事記に登場する伝説の剣です。
古事記によると・・・
神武東征の中、熊野を移動中の神武一行の前に熊野の神が現れ毒気による攻撃を始めます。
この毒気の前に神武一行は全員病床に伏してしまい全滅の危機に…
そんな時、高天原の天照大神と建御雷神によりかつて葦原中国を平定した神剣を託されます。
神武天皇がその神剣を振るうとたちまち毒気が消え一行は回復し再び東征へ、ナガスネヒコとの決戦へ挑むのでした。。。
という逸話の残る剣となっています。
この剣が軍事のシンボルとして古くは大和朝廷から明治時代まで活用され、それを奉納する石上神宮は軍事的な強さを象徴する神社となっていきました。
七支刀

七支刀は369年に百済の王から大和に贈られた剣です。
そこには文字が刻まれており、当時文字の無かった日本の空白の4世紀を解明する為の重要な資料として保存されています。
刻まれた文章
太和4年5月16日、100回練った七支刀を造った。
百兵を退けるこの刀は立派な王が帯びるに相応しい。
永遠に大吉祥でありますように。
石上神宮へのアクセス
項目 | 詳細 |
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住所 | 奈良県天理市布留町384 |
アクセス | – 電車: JR・近鉄「天理駅」から徒歩約25分またはタクシーで約5分 – 車: 西名阪自動車道「天理IC」から約10分 |
参拝時間 | – 夏季(4月~9月): 午前5時30分~午後5時30分 – 冬季(10月~3月): 午前6時~午後5時 |
御利益 | – 厄除け – 開運 – 勝負運向上 – 武運長久 – 健康長寿 – 商売繁盛 |
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